坂本龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日(1836年1月3日) - 慶応3年11月15日(1867年12月10日))は幕末、日本の政治家・実業家として活躍しました。
28歳の時に土佐藩を脱藩。その事を聞いた同じ土佐藩の武市瑞山は「土佐の国にはあだたぬ奴だ」といった。「あだたぬ」とは土佐弁で包容しきれぬ人という意味です。その後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊の結成、薩長連合の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど、幕末の志士として活動しました。
司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の主人公とされて以来、国民的人気を誇っている
1866年(慶応二年)、1月、坂本龍馬の斡旋により、京都で長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩の西郷隆盛が会見し、薩長同盟(薩長盟約)が結ばれた。このとき龍馬は桂に求められて盟約書の裏書を行っている。天下の大藩同士の同盟に一介の素浪人が保証を与えたものであって、彼がいかに信用を受けていたかがわかる。
直後の2月、寺田屋で幕吏に襲撃されたが一命を取り留める。その傷を癒すため、妻おりょうと共に鹿児島を旅行する。6月、第二次長州征伐では亀山社中の船・乙丑丸で長州藩海軍を支援。
龍馬は慶応3年11月15日(1867年12月10日)の暗殺当日には風邪を引いて河原町の蛸薬師で醤油商も営む近江屋新助宅母屋の二階にいたとされる。当日は陸援隊の中岡慎太郎や土佐藩士の岡本健三郎、画家の淡海槐堂などに訪問されている。中岡はそのまま龍馬と話していたところ、十津川郷士と名乗る男達数人に切られた。
龍馬は中岡と論議を交わしていたので、帯刀していなかったといわれています。龍馬はまず頭部を深く切られ、奮戦するもののそれが原因ですぐに死亡。中岡も重傷を負うが数日間は意識があり事件の証言を残した。慎太郎もまもなく死亡した。
龍馬のなくなった日は奇しくも33歳の誕生日でありました。
坂本龍馬人物伝 | ||
年 | 年齢 |
龍馬についての出来事 |
天保6(1835) | 1 |
11月15日、郷土・坂本長兵衛の次男として、高知城下本庁筋一丁目に誕生 |
嘉永元(1848) | 14 |
剣術の小栗流、日根野道場に入門 |
嘉永6(1853) | 19 |
剣術修行のため江戸遊学 千葉定吉道場へ入門 ペリー来航で藩の臨時御用に徴用される |
安政6(1859) | 25 |
9月20日、砲術家・徳弘幸蔵に入門 |
文久元(1861) | 27 |
8月、土佐勤王党結成され、翌月、加盟する |
文久2(1862) | 28 |
1月15日、長州の久坂玄瑞を訪れる 3月24、沢村惣之丞と共に土佐藩を脱藩する 10月、千葉道場の千葉重太郎と共に軍艦奉行並の勝海舟宅を訪れる |
文久3(1863) | 29 |
1月8日、勝海舟の私塾に同志とともに入門 4月24日、神戸海軍操練所の設立が決定、私塾の開設も認められる |
元治元(1864) | 30 |
2月9日、勝海舟より外国連合艦の下関砲撃調停の命を受け、翌日、同志らとともに長崎に向かう 5月頃、攘夷派志士らを蝦夷地に移住させ開拓事業を唱える。この頃、医師・楢崎将作の 長女・お龍と知り合う 6月5日、池田屋事件で同志の望月亀弥太が自刃する 8月1日、お龍を伏見の船宿寺田屋に預ける。このころ、お龍と内祝言をあげる。 8月14日、勝の使者として京都で西郷隆盛と面会する |
慶応元(1865) | 31 |
閏5月6日、木戸孝允と会見し、薩長和解を説く 閏5月10日、薩摩の西郷は木戸との会談予定を破り、そのまま上京する 閏5月29日、西郷説得のため、中岡と上京する。この頃、長崎に亀山社中を 創立し商業活動をはじめる |
慶応2(1866) | 32 |
1月22日、薩長同盟が成立する 1月24日、午前3時頃、寺田屋で三吉慎蔵と会談中、幕吏に急襲される お龍が気づき、急を知らせ、虎口を脱す(寺田屋事件) |
慶応3(1867) | 33 |
4月上旬、社中を土佐海援隊に改編。隊長となる 4月23日、いろは丸が紀州の明光丸と衝突し、沈没する 6月15日、長岡に「船中八策」を起草させ、土佐藩の後藤象二郎に示す 6月26日、薩土芸・三藩による王政復古について意見が一致、「約定書」成る 10月14日、将軍慶喜、大政奉還 11月1日、越前の松平春獄に謁す。この頃、「新政府網領八策」を著す 11月15日、近江屋で何者かに襲われ、翌日没す |
▲参考文献:木村幸比古著『龍馬暗殺の謎』(PHP研究所) |
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※「龍馬」は慣用音(「広辞苑」第5版)では「りゅうま」だが、漢音は「りょうま」で、同時代人の日記や書簡に「良馬」の当て字で記されていることもあり、また龍馬自身も書簡の中で「りよふ」と自署していることもあるため、「りょうま」と読まれていたことは間違いない。「竜」は「龍」の新字で「竜馬」は誤り(龍馬は「竜」の字を使ったことがない)だが、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」以来、慣用化されている。 |
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